4月21日、DISCOVER→JAPANの管理人さんであるラビットさんと話す機会があり、その時に明日22日(金)に餘部へ撮影に行こうと思ってますという話を聞いて、たまたま私もその日は非番日であったので一緒に連れて行ってもらうことになりました。
 いままで、撮影メインで出かけることは少なかった私にとって、忘れられない撮影旅行になりました。
 その時の記録を撮影記として紹介します。


                   旅行日:平成17年4月22日(金)
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 この日の予定ですが、ラビットさんと朝2:30に待ち合わせし出発、名阪国道〜西名阪〜大阪環状〜中国道〜播但連絡道路〜和田山から一般道で浜坂へ出て餘部へ、というルートで進めました。
 遅くとも6時30分には到着し、7時過ぎの特急出雲の撮影に間に合わせるという計画でした。

 ところが、和田山で約30分遅れとなり、浜坂へたどり着いたのが7時であったので既に「出雲」には間に合わないということになってしまい、急遽 浜坂の先で「出雲」を捉えるということに変更しました。
出雲は浜坂を7:22着となっていましたが、浜坂駅の信号がまだ赤だったので少し遅れがあると思われました。


 浜坂から少し南へ行ったところで、よさそうな撮影ポイントを見つけたので、そこへ陣取り撮影をすることとなりました。時間は過ぎていましたがまだ通過していないはずでした。
少しして浜坂7:48着の上り普通がやってきたので、まず出雲の遅れは間違いないと確信し、この後待つこととしました。


(写真は上り524D)
 待つこと30分、やってきたのは出雲ではなく浜坂8:08発の下り列車でした。
 これはどうしたのかと、確認しようと思いましたがなんと携帯が圏外でどうにも確認することができません。そこでこれはかなりの遅れがあるのではないかと考え、急遽餘部へ向かうことにしました。

 途中、浜坂駅で確認を取ったところ、やはり出雲は2時間強の遅れであることが判明しました。なんとラッキ−なことかと!
 われわれは即座に餘部へ向かいました。

                  (写真は下り525D)
 
▼鉄橋海側の下から上り8:53発普通列車を撮影
▼いよいよお目あての「出雲」です。2時間強遅れ9時31分の通過となりました。
  天気も良好、遅れから日差しの状態もよくなりました。



 お目当ての「出雲」の撮影が終わり、来る前に浜坂の駅前のお店によった時に、写真のかに寿司(駅弁かな?)を売っていたので購入し、次の列車まであき時間があるので、食べることとしました。
 
 心は満足、お腹もおいしいかに寿司で満足!

 「出雲」通過から、約1時間後に下り普通列車が到着しました。
▼餘部駅の様子をまとめました。

駅から撮影場所への案内標識

餘部駅の下り方面方向写真

餘部駅より鉄橋を臨む

近畿自然歩道案内板

餘部駅にある
壁画
▼餘部鉄橋の様子をまとめました。

餘部鉄橋に関する説明板

駅上り道途中より撮影

鉄橋西側の斜め下から撮影

鉄橋下の道路脇にある案内

鉄橋中下より
撮影


【昭和61年列車転落事故慰霊碑】
 昭和61年12月28日低気圧による強風により、和風列車みやび号が餘部鉄橋中央部から客車7両が脱線転落し、鉄橋直下のカニ工場を直撃。従業員5名と列車車掌1名の計6名が死亡し、6名が重傷を負うという大惨事が発生しました。
 この慰霊碑はこのような事故が二度と繰り返さないようにと遺族一同の呼びかけで建立されました。


 ラビットさんと私も、犠牲者のご冥福を深くお祈りしてまいりました。
▼日本海のすばらしい風景をご覧あれ。
▼海側より下り普通列車を撮影 ▼山側より普通列車を撮影
▼下り特急「はまかぜ1号」−JR色4両  本日の撮影最後となります。
 現在時間は13時30分、これから帰途につきます。
 今日は天気は曇りがちという予報でしたが、かなり良い天気になり本当に来て良かったと思います。
 また、到着が遅れたのに出雲が遅れるというラッキーから、列車に光が当たった状態での撮影ができたこと本当にうれしい限りでした。
 これもひとえに、連れてきていただいたラビットさんのお人柄だと感謝しております。
 いつまでもこのようなすばらしい場所が残っていってもらいたいと思います。

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